忘れてはいけない日。
3月11日。
あの日はちょうど家にいて、ニュース速報に驚き、大津波に逃げ惑う車の映像に現実ではないと思った。
そして原発事故。
この時代に生きるものにとって忘れられない日となってしまった。
幼い息子は大人になってこの日を覚えているのだろうか?
いや、もしかしたら放射能の苦悩を戦っているかもしれない。
以前にも述べたが、10日後、救援物資を積み込み1200kmの道程を丸1日かけて石巻へ向かった。
全て流され、基礎だけ残った住宅地の跡が田んぼのように見えた。
飛び交う自衛隊のヘリ。
連なって走る救急車。
避難所には多くの人達が寒さに震えていた。
自分も経験した事がない寒さに、シュラフを二重にして寝た。
食器を洗う手が凍てつき痛かった。
そして、私達はひたすら味噌汁をつぐ。
「ありがとう」と礼を言われる。
毎日、この繰り返し。
誰もが迅速な復興を期待していたが、政府の対応に不満が残るだけ。
原発にしても原因究明の検証もせず、再稼働を始めようとしている。
ウソで塗り固めたマニフェストの資金繰りに苦労したかと思えば今度は増税。
あの日から1年が過ぎ、この日本という国に住む人間は何を思うのだろうか?
忘れてはいけないこの日。
ただ、ただ、早く元の美しい風景に戻り、現地の皆さんの心が和む日が来るのを願うばかりだ。
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