2010年09月01日
防災の日に思う。
今日は「防災の日」。

我々現在人には、90年も前の関東大震災の9月1日よりも、15年前、95年1月17日の阪神淡路大震災の方が身近に感じられます。あの朝、四国でも大きな揺れがあり、出勤途中の車内のテレビから次々と目に入る衝撃的な映像に驚愕したものです。この頃、私はアウトドア関係の仕事をしており、出社するや、上司の指示により、救援用にテントやシュラフなどのキャンプ用品やレトルト食品など店内にあるものをダンボールに詰めていました。夕方にはトラックがやってきて、「少しでも役に立ってくれ!」と見送った事を思い出します。
もう一つ思い出すことは、「永山竜叶氏」。

「彼のイラスト。大きなお腹に愛嬌ある笑顔。実際よく似ています。」
SFアニメ監督の庵野秀明とは幼い頃アニメサークルを結成した仲間だった。
フリーカメラマンだった(彼はこの年の6月、不慮の事故により他界した。)彼は、西宮の自宅でこの震災に遭い、すぐさまオフロードバイクに乗って現地へ向かったのでした。消防車や救急車などはとうてい進む事はできない。バイクだから誰よりも早く現地の惨状をレポートできたのです。この時の写真は雑誌「FRIDAY」に掲載され、地震の恐ろしさを多くの人に伝えました。
普段、レジャーとして楽しんでいるキャンプも、いつか役に立つかもしれないが、そうなって欲しくはない。
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「彼のイラスト。大きなお腹に愛嬌ある笑顔。実際よく似ています。」
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Posted by inxscamp at 22:09│Comments(0)
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