2011年03月30日
石巻救援レポート-2
我々が炊き出しを行っている石巻商業のそばには、旧北上川が流れています。
河口から約7キロの標識がありました。
緩やかに蛇行するその川の両岸にはかなり高い堤防が続いていますが、そこには漁船や新築中の住宅の屋根までも流されていました。
畑や田んぼは海水で浸かり、まるで湖の様。
大きな魚が横たわり、水鳥が静かに泳いでいます。
想像を絶する津波の恐ろしさが、至る所で見受けられるのです。
石巻への道中に、こんな出来事がありました。
四国からハイエースに物資を積込み、途中、福山で福岡のK氏と福山のA氏と合流し東京を目指しました。
深夜1時、およそ12時間かけて東京の知人の会社で、石巻から引き揚げた別のスタッフが乗ってきたプラドに荷物を入れ替えます。
プラドは、緊急車両の許可を取っているため、この車でしか現地へ入れなかったからです。
その作業中、一人の若者が通りかかり、「災害支援に行かれるのですか?」と声をかけてきたのです。
石巻へ行く事を告げると、彼は「気を付けて頑張って下さい」と一言告げ、去っていきました。
しばらくすると、その彼が戻ってきて、「これどうぞ」とコーヒーを差し入れてくれたのです。
そして、一枚の年賀状を差し出して、その差出人の安否が心配だと言うのです。
その人は、石巻市内の酒蔵の事でした。
現地に行くと、悲惨な状況と燃料の消費を考えると移動が制限されます。
私が引き揚げる日の前の夜、ちょうどその酒蔵の近くの小学校に炊き出しに行ったので、探してみることに。
その酒蔵は、被害もなさそうで、部屋には明かりが点いていました。
でもお留守のようなので、近所の人に声をかけ安否を聞くと皆さんご無事だとの事。
事情を説明すると必ず伝えますと。
東京に電話して、無事の知らせを伝えると安心したようでした。
その翌日、地元の朝刊にその酒蔵が間もなく操業を開始し、「復興酒」を作るという記事が出ていたそうです。
現地では、避難されている方も、かろうじて助かった方も、復興に向け前を向いています。
その手助けが少しでも出来た事がこの支援活動に参加して良かった事。
今、仮設住宅の建設が急ピッチで進められていますが、入居できるのはまだまだ先みたい。
一日でも早く、元の生活に戻れるよう祈るばかりです。
そして、いつかまたこの石巻へ向いたいと思います。
帰る前の晩、また大きな余震がありました。
岐路の段取りはできていませんが、宇都宮まで仲間の車で運んでもらう事は決まっています。
つづく。
河口から約7キロの標識がありました。
緩やかに蛇行するその川の両岸にはかなり高い堤防が続いていますが、そこには漁船や新築中の住宅の屋根までも流されていました。
畑や田んぼは海水で浸かり、まるで湖の様。
大きな魚が横たわり、水鳥が静かに泳いでいます。
想像を絶する津波の恐ろしさが、至る所で見受けられるのです。
石巻への道中に、こんな出来事がありました。
四国からハイエースに物資を積込み、途中、福山で福岡のK氏と福山のA氏と合流し東京を目指しました。
深夜1時、およそ12時間かけて東京の知人の会社で、石巻から引き揚げた別のスタッフが乗ってきたプラドに荷物を入れ替えます。
プラドは、緊急車両の許可を取っているため、この車でしか現地へ入れなかったからです。
その作業中、一人の若者が通りかかり、「災害支援に行かれるのですか?」と声をかけてきたのです。
石巻へ行く事を告げると、彼は「気を付けて頑張って下さい」と一言告げ、去っていきました。
しばらくすると、その彼が戻ってきて、「これどうぞ」とコーヒーを差し入れてくれたのです。
そして、一枚の年賀状を差し出して、その差出人の安否が心配だと言うのです。
その人は、石巻市内の酒蔵の事でした。
現地に行くと、悲惨な状況と燃料の消費を考えると移動が制限されます。
私が引き揚げる日の前の夜、ちょうどその酒蔵の近くの小学校に炊き出しに行ったので、探してみることに。
その酒蔵は、被害もなさそうで、部屋には明かりが点いていました。
でもお留守のようなので、近所の人に声をかけ安否を聞くと皆さんご無事だとの事。
事情を説明すると必ず伝えますと。
東京に電話して、無事の知らせを伝えると安心したようでした。
その翌日、地元の朝刊にその酒蔵が間もなく操業を開始し、「復興酒」を作るという記事が出ていたそうです。
現地では、避難されている方も、かろうじて助かった方も、復興に向け前を向いています。
その手助けが少しでも出来た事がこの支援活動に参加して良かった事。
今、仮設住宅の建設が急ピッチで進められていますが、入居できるのはまだまだ先みたい。
一日でも早く、元の生活に戻れるよう祈るばかりです。
そして、いつかまたこの石巻へ向いたいと思います。
帰る前の晩、また大きな余震がありました。
岐路の段取りはできていませんが、宇都宮まで仲間の車で運んでもらう事は決まっています。
つづく。
2011年03月27日
石巻救援レポート-1
今だ余震が続く東北地方。
先ほどもマグニチュード5クラスの地震がありました。
Iphoneに入れた地震速報アプリの設定は、石巻のままにしています。
今回の災害救援活動は、地震発生後の翌日には行動を起こしました。
しかし、四国から現地までは1200kmもの距離と、衰えぬ寒波、そして福島第一原発の事故という大きな壁が立ちはだかります。
その問題をクリアすべくあらゆる検討を重ねながら、必要な物資をかき集めます。
現地はもちろん、東京辺りではガソリンや軽油などの燃料の入手が困難らしいとの情報が入り、燃費やタンク容量から航続距離をはじきだし、足りない分はジェリ缶に補充。さらに、ある一定の量を超えると、危険物取扱の免許も必要となってきます。
次に問題となったのが、移動ルート。東北道を通るには緊急車両の許可が必要で、一般人には絶対無理な話。行政機関との折衝でやっと許可が下り、同じくして宮城県からの救援要請が入ったのです。
私達に、「行け!」とばかりに原発事故も好転はしないものの、放水も始まり一様安定。車両2台で約24時間もの大移動が始まったのです。
阪神大震災の折、救援物資が多く集まり、その仕分作業に追われた事も皆さんよくご存知な話。現地に着いて活動を始めるとまだまだ物資が不足気味。被災者の皆さんは、避難後毎日冷たいご飯やパンしか食べていなかったのです。暖かい味噌汁を喜んでくれたし、特に地元で取れたワカメを入れた時には涙ぐむ方もいらっしゃいました。
こうして、石巻商業高校に避難している200名の朝夕の炊き出しが始まったのです。
続く・・・。
先ほどもマグニチュード5クラスの地震がありました。
Iphoneに入れた地震速報アプリの設定は、石巻のままにしています。
今回の災害救援活動は、地震発生後の翌日には行動を起こしました。
しかし、四国から現地までは1200kmもの距離と、衰えぬ寒波、そして福島第一原発の事故という大きな壁が立ちはだかります。
その問題をクリアすべくあらゆる検討を重ねながら、必要な物資をかき集めます。
現地はもちろん、東京辺りではガソリンや軽油などの燃料の入手が困難らしいとの情報が入り、燃費やタンク容量から航続距離をはじきだし、足りない分はジェリ缶に補充。さらに、ある一定の量を超えると、危険物取扱の免許も必要となってきます。
次に問題となったのが、移動ルート。東北道を通るには緊急車両の許可が必要で、一般人には絶対無理な話。行政機関との折衝でやっと許可が下り、同じくして宮城県からの救援要請が入ったのです。
私達に、「行け!」とばかりに原発事故も好転はしないものの、放水も始まり一様安定。車両2台で約24時間もの大移動が始まったのです。
阪神大震災の折、救援物資が多く集まり、その仕分作業に追われた事も皆さんよくご存知な話。現地に着いて活動を始めるとまだまだ物資が不足気味。被災者の皆さんは、避難後毎日冷たいご飯やパンしか食べていなかったのです。暖かい味噌汁を喜んでくれたし、特に地元で取れたワカメを入れた時には涙ぐむ方もいらっしゃいました。
こうして、石巻商業高校に避難している200名の朝夕の炊き出しが始まったのです。
続く・・・。
2011年03月26日
石巻から帰りました。
短い間でしたが、宮城県石巻市で救援活動を終え先ほど帰宅しました。
まだ仲間達は、その活動を続けています。
石巻から東北道へ抜けるのには三陸道は今だ規制がかかり時間がかかりました。
国道や県道を繋ぎ大和インターへ向かう途中、道を間違えて松島あたりを通過しましたが、このあたりも被害が大きく悲惨な状況でした。
長野へ帰るメンバーの車に乗せてもらい、宇都宮へ。
宇都宮駅で手荷物の半分を宅配で送り、身軽になって駅へ向かうと、あちらこちらで募金活動を行っていました。
立ち止まりたい気持ちもありましたが、あまりの多くの募金隊の多さに圧倒され、結局募金しませんでした。
風呂も入れず、汚い姿で横を通り過ぎる男はどのように映ったのか気になりました。
ある国会議員も箱を持って声を上げていましたが、気持は解りますが、ここで国を動かせる事ができるのでしょうか?
避難所となっている学校では、教室では石油ストーブが焚かれているのに、ガスコンロなどの火は使えないという。
火が使えれば、赤ちゃんのミルクを温めれるし、調理だってできる。
湯たんぽが使えれば暖かく睡眠をとる事ができる。
学校法を一時修正する事はそれほど難しいことなのだろうか?
そして、これを動かす事ができるのは政治家しかいない。
東京まで新幹線で移動し、羽田へ。
新幹線から見える町並みは普段のままで、先ほどまでいた被災地とのギャップに大きく戸惑いを感じる。
また、飛行機からみる東京はあまりにも無防備で、怖いほど。
巨大津波は容赦なくこのメガタウンを破壊しつくすでしょう。
電気が使え、テレビをみながらこうやってパソコンのキーボードをカチカチ叩く音が妙に気になります。
被災地から帰って、今までの普通の生活に違和感を覚えます。
石巻は今晩も冷え込むそうです。
仲間たちは早い明日の朝のため、もう寝袋に潜り込んだでしょう。
以降、このブログでは被災地の現状をお届けするつもりです。
まだ仲間達は、その活動を続けています。
石巻から東北道へ抜けるのには三陸道は今だ規制がかかり時間がかかりました。
国道や県道を繋ぎ大和インターへ向かう途中、道を間違えて松島あたりを通過しましたが、このあたりも被害が大きく悲惨な状況でした。
長野へ帰るメンバーの車に乗せてもらい、宇都宮へ。
宇都宮駅で手荷物の半分を宅配で送り、身軽になって駅へ向かうと、あちらこちらで募金活動を行っていました。
立ち止まりたい気持ちもありましたが、あまりの多くの募金隊の多さに圧倒され、結局募金しませんでした。
風呂も入れず、汚い姿で横を通り過ぎる男はどのように映ったのか気になりました。
ある国会議員も箱を持って声を上げていましたが、気持は解りますが、ここで国を動かせる事ができるのでしょうか?
避難所となっている学校では、教室では石油ストーブが焚かれているのに、ガスコンロなどの火は使えないという。
火が使えれば、赤ちゃんのミルクを温めれるし、調理だってできる。
湯たんぽが使えれば暖かく睡眠をとる事ができる。
学校法を一時修正する事はそれほど難しいことなのだろうか?
そして、これを動かす事ができるのは政治家しかいない。
東京まで新幹線で移動し、羽田へ。
新幹線から見える町並みは普段のままで、先ほどまでいた被災地とのギャップに大きく戸惑いを感じる。
また、飛行機からみる東京はあまりにも無防備で、怖いほど。
巨大津波は容赦なくこのメガタウンを破壊しつくすでしょう。
電気が使え、テレビをみながらこうやってパソコンのキーボードをカチカチ叩く音が妙に気になります。
被災地から帰って、今までの普通の生活に違和感を覚えます。
石巻は今晩も冷え込むそうです。
仲間たちは早い明日の朝のため、もう寝袋に潜り込んだでしょう。
以降、このブログでは被災地の現状をお届けするつもりです。
2011年03月26日
2011年03月25日
石巻、震災後2週間目の朝。
昨日は、震度5弱の余震がありました。
石巻は、車の数が増え渋滞も起きはじめました。
東北道規制解除の影響でしょう。
ここ、石巻商業高校のすぐ裏には、自衛隊と消防の基地が運動公園に作られています。ヘリがめまぐるしく離発着を繰り返しています。
今日は、また新しい避難所に温かい食べ物を提供しにいきます。
「ありがとう」のお言葉が疲れを吹き飛ばします。
石巻は、車の数が増え渋滞も起きはじめました。
東北道規制解除の影響でしょう。
ここ、石巻商業高校のすぐ裏には、自衛隊と消防の基地が運動公園に作られています。ヘリがめまぐるしく離発着を繰り返しています。
今日は、また新しい避難所に温かい食べ物を提供しにいきます。
「ありがとう」のお言葉が疲れを吹き飛ばします。
2011年03月24日
避難所での卒業式
我々が炊き出しを行なっている高校には、女川町の出島の方々が避難されています。
そのほとんどが自衛隊のヘリで救出されています。
今日、ここで卒業式が行われ 、我々も校長先生からの要望で出席させていただきました。
震災のさなかでの卒業式。
小さな教室は、多くの人達が廊下まで溢れかえりました。
「島魂」
島の人達は、この言葉をよく使われます。
今日、卒業した4人の子供達も、その意味をしっかり理解し、立派に自立していました。
みな、強く生きて行こうとしています。
この卒業式を、私は忘れる事はありません。
そのほとんどが自衛隊のヘリで救出されています。
今日、ここで卒業式が行われ 、我々も校長先生からの要望で出席させていただきました。
震災のさなかでの卒業式。
小さな教室は、多くの人達が廊下まで溢れかえりました。
「島魂」
島の人達は、この言葉をよく使われます。
今日、卒業した4人の子供達も、その意味をしっかり理解し、立派に自立していました。
みな、強く生きて行こうとしています。
この卒業式を、私は忘れる事はありません。
2011年03月23日
石巻のがんばる人達
石巻は、雪がちらつく寒い朝でした。
先発隊がテントを張る石巻の高校は、今日が合格発表の日。
ここには200人もの被災者の方々が避難されていて、その辛く悲しいであろう生活のため、いつもは静かな学校に子供達の歓声があがりました。
彼らは頑張っています。
毎日、朝夕の食事を作っていますが、今日はデリバリーを行いました。
向かったその避難所は、女川原発の施設内。
それも炉塔の間横。
だれがこの現実を知るでしょうか。
女川町の凄まじい状況はテレビでも新聞でも表せられません。
まだ、余震が続く石巻。
今晩も冷え込み、気温は0度。
明日の準備を終え、寝袋に潜り込みます。
先発隊がテントを張る石巻の高校は、今日が合格発表の日。
ここには200人もの被災者の方々が避難されていて、その辛く悲しいであろう生活のため、いつもは静かな学校に子供達の歓声があがりました。
彼らは頑張っています。
毎日、朝夕の食事を作っていますが、今日はデリバリーを行いました。
向かったその避難所は、女川原発の施設内。
それも炉塔の間横。
だれがこの現実を知るでしょうか。
女川町の凄まじい状況はテレビでも新聞でも表せられません。
まだ、余震が続く石巻。
今晩も冷え込み、気温は0度。
明日の準備を終え、寝袋に潜り込みます。
2011年03月23日
もうすぐ石巻
ただいま朝5時。
昨日の昼1時に出発し、ひたすら走り続け、もうすぐ目的地の石巻に到着予定です。
福島第一原発がある東の空が白くなってきました。
まもなく夜明け。
そこでは、多くの人達が命がけで戦っています。
そして、あと少しで救援活動中の仲間たちと合流できます。
結局、3人とも眠れませんでした。
昨日の昼1時に出発し、ひたすら走り続け、もうすぐ目的地の石巻に到着予定です。
福島第一原発がある東の空が白くなってきました。
まもなく夜明け。
そこでは、多くの人達が命がけで戦っています。
そして、あと少しで救援活動中の仲間たちと合流できます。
結局、3人とも眠れませんでした。
2011年03月21日
復興支援へ出ます。
東日本大震災から10日。
原発事故による被害が重なり、被災地では今なお被災された皆さんや、行方不明の方が多くいます。
先週、私達の仲間が燃料や食料などの物資を載せ出発しました。
現在、宮城県石巻市で支援活動を続けています。
私も少しでも手助けが出来ればと、明日から現地へ向かいます。
四国から1200km。
アウトドアで少し培った経験を活かしてきます。
テレビや新聞等で情報は入ってきますが、このBLOGでも被災地の現状をお伝えするつもりです。
原発事故による被害が重なり、被災地では今なお被災された皆さんや、行方不明の方が多くいます。
先週、私達の仲間が燃料や食料などの物資を載せ出発しました。
現在、宮城県石巻市で支援活動を続けています。
私も少しでも手助けが出来ればと、明日から現地へ向かいます。
四国から1200km。
アウトドアで少し培った経験を活かしてきます。
テレビや新聞等で情報は入ってきますが、このBLOGでも被災地の現状をお伝えするつもりです。
2011年03月13日
地震について②
時間が経つにつれ、お亡くなりになられた方や行方不明の方が増え、また、避難されている方々も寒くつらい状況が続いているようです。
遠く離れた四国から、何ができるか検討していますが、今は道路状況が悪く、また規制もかかっていて難しい。
政府もボランティアの組織を立ち上げたようですが、早い時期に救援の手が差し伸べる事ができるよう願う。
がんばれ、日本!
遠く離れた四国から、何ができるか検討していますが、今は道路状況が悪く、また規制もかかっていて難しい。
政府もボランティアの組織を立ち上げたようですが、早い時期に救援の手が差し伸べる事ができるよう願う。
がんばれ、日本!
2011年03月11日
地震について
東北地方太平洋沖地震での災害に見舞われた皆様へ、心よりお見舞い申し上げます。
余震がまだ続いているようで心配です。テレビで見た津波の凄まじさに、驚くと言うか現実に起こっている出来事と実感するには時間がかかるほど今回の地震は今までのものとは違います。まだ、この先さらに地震が発生する可能性もあります。くれぐれもお気をつけ下さい。
たまたま東京へ出張していた弟からメールが届き、無事との連絡がありましたが、今も帰宅のめどはたっていないでしょう。
四国でも大津波警報が出され、須崎市では2mを観測しています。もう、一部の地域の事ではありません。
今年は、豪雪に加え、この地震と災害が多い。
昨日、実家に帰ると家の屋根が雪で壊れていました。

昨晩も少し積雪があったとか。
日頃からの備えが必要で、明日は水や食料を確保しよう。
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余震がまだ続いているようで心配です。テレビで見た津波の凄まじさに、驚くと言うか現実に起こっている出来事と実感するには時間がかかるほど今回の地震は今までのものとは違います。まだ、この先さらに地震が発生する可能性もあります。くれぐれもお気をつけ下さい。
たまたま東京へ出張していた弟からメールが届き、無事との連絡がありましたが、今も帰宅のめどはたっていないでしょう。
四国でも大津波警報が出され、須崎市では2mを観測しています。もう、一部の地域の事ではありません。
今年は、豪雪に加え、この地震と災害が多い。
昨日、実家に帰ると家の屋根が雪で壊れていました。

昨晩も少し積雪があったとか。
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2011年03月08日
広島県民の森でスキー②
広島県民の森でのスキー。
今年はこれで最後になるだろうと、登り降りを繰り返します。
実は、今回がカービング初滑り。
10数年スキーから離れていたら、知らぬ間に板の主流は短く幅広くなって、2m近くある私の板は細く、まるでクロスカントリスキーのようです。
で、やっと新型?を手に入れましたが、よく曲がりますね。
スキーシーズンも終盤なので、客の入りも少なくコース内も衝突の危険性も薄い。
子供達も随分上達しました。
途中、息子がリフトから転落するアクシデントがありましたが、乗り口のすぐそばだったので無事でした。
安全バーを下ろそうとしてずり落ちたらしく、結局一人で到着。

ここ広島県民の森スキー場のコース頂上の標高は1,080m。
四国の皿が峰の竜神平くらいの標高で、まわりの木々はケヤキやカエデなどの広葉樹なのですが、なぜだかコース内は杉・檜ばかり。
冬でも葉が落ちないので日が当たらず、雪解けを防ぐためかなあ?雑木の方が雰囲気はいいのに。
日も傾き始め、3時には撤収。
庄原のかんぽで入浴し、市内で名物?の庄原焼きを頂きました。


具の中に、ご飯が入りポン酢で食べるヘルシーなお好み焼きでした。
そのまま帰宅する予定でしたが、予定は予定、M君と互いのテレパシーでP泊決定!
という事で、ビールをグビグビいただきました。
翌朝、近くの「食彩館しょうばらゆめさくら」へ。
新鮮な朝採れ野菜やパン屋さん、ミルク屋さんなどがあり、ここで朝食を取ればよかった。

私は、ホッとミルクをいただきました。
これがうまかった。


帰り道、七塚原高原を散策。

備北オートビレッジのすぐ西にあります。
ここ庄原は、中国地方のほぼ中央に位置しているので、もっと探索しがいがありますね。
これで、今シーズンのスキーはおしまいでしょう。
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今年はこれで最後になるだろうと、登り降りを繰り返します。
実は、今回がカービング初滑り。
10数年スキーから離れていたら、知らぬ間に板の主流は短く幅広くなって、2m近くある私の板は細く、まるでクロスカントリスキーのようです。
で、やっと新型?を手に入れましたが、よく曲がりますね。
スキーシーズンも終盤なので、客の入りも少なくコース内も衝突の危険性も薄い。
子供達も随分上達しました。
途中、息子がリフトから転落するアクシデントがありましたが、乗り口のすぐそばだったので無事でした。
安全バーを下ろそうとしてずり落ちたらしく、結局一人で到着。

ここ広島県民の森スキー場のコース頂上の標高は1,080m。
四国の皿が峰の竜神平くらいの標高で、まわりの木々はケヤキやカエデなどの広葉樹なのですが、なぜだかコース内は杉・檜ばかり。
冬でも葉が落ちないので日が当たらず、雪解けを防ぐためかなあ?雑木の方が雰囲気はいいのに。
日も傾き始め、3時には撤収。
庄原のかんぽで入浴し、市内で名物?の庄原焼きを頂きました。


具の中に、ご飯が入りポン酢で食べるヘルシーなお好み焼きでした。
そのまま帰宅する予定でしたが、予定は予定、M君と互いのテレパシーでP泊決定!
という事で、ビールをグビグビいただきました。
翌朝、近くの「食彩館しょうばらゆめさくら」へ。
新鮮な朝採れ野菜やパン屋さん、ミルク屋さんなどがあり、ここで朝食を取ればよかった。

私は、ホッとミルクをいただきました。
これがうまかった。


帰り道、七塚原高原を散策。

備北オートビレッジのすぐ西にあります。
ここ庄原は、中国地方のほぼ中央に位置しているので、もっと探索しがいがありますね。
これで、今シーズンのスキーはおしまいでしょう。
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2011年03月07日
広島県民の森スキー場へ
今回向かったスキー場は、Y田君オススメで「広島県民の森スキー場」に決定。

途中でP泊する予定が、結局現地に着いてしまいました。スキー場までの道路はほぼ2車線。新雪と凍結でM君のキャンカーは左コーナーでスリップするアクシデントがありましたが、見事なカウンターが入り無事到着。チャッチャッとアルコールを放り込み、早めの就寝。到着時は無人の駐車場も、目覚めるとごらんの通り。まあ、キャンプ場じゃないから仕方ないけど、深夜にディーゼルエンジンをかけ、ヘビーなクラブ系のビデオを大音量で見る迷惑な輩には参りました。そのお方、お目覚めが悪いようで遅くまで大きなお口を開けてお休みでした。もっと端の方に駐車すればよかった。FFヒーターに取り付けた排気サイレンサーのその効果は絶大で、すぐ隣のM君も気付かないほど。発電機の消音にも使えるかも?とM君がテストする予定です。

さてさて、初めてのスキー場。リフトは2基で、初心者には第3リフト(下側のリフトで750m)を使うのがおすすめで、「かえでコース」を行くと1200mのコースに。もっと初心者にはロープ塔もあります。スキーとボードの比率は半々くらいでしょうか。家族連れが多く、土日は小学生のリフト代が1000円になる「子供デー」のためでしょう。

前回、上蒜山でスキー教室に入り、なんとかボーゲンで滑れるようになった子供達2人。1本目は親と一緒にリフトに乗りましたが、2本目からは子供達だけで御乗車です。

同じ板の二人はまるで双子の様で、いったい何を話しているのでしょう?やっぱり、「おまえのところの親父は最近どうよ」「キャンプの事しか頭になく困ったものよ。」と言っているに間違いない。
それにしても素晴らしい天気。目の前の山を越えれば、すぐそこは島根県。ここはキャンプ場もあり、オートキャンプもできるという情報もありますが、ウェブサイトには、「本来のキャンプの姿を守る」という記載があるように、少し難有りと見た。それに、四国からは「しまなみ街道」経由で、高速道路は尾道JCTから世羅ICまでで終わり。地道で庄原を抜けてここまで結構時間がかかりました。スキー以外では来ないでしょう。
さあ、今日1日で何本滑れるでしょうか?
つづく。
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さてさて、初めてのスキー場。リフトは2基で、初心者には第3リフト(下側のリフトで750m)を使うのがおすすめで、「かえでコース」を行くと1200mのコースに。もっと初心者にはロープ塔もあります。スキーとボードの比率は半々くらいでしょうか。家族連れが多く、土日は小学生のリフト代が1000円になる「子供デー」のためでしょう。

前回、上蒜山でスキー教室に入り、なんとかボーゲンで滑れるようになった子供達2人。1本目は親と一緒にリフトに乗りましたが、2本目からは子供達だけで御乗車です。

同じ板の二人はまるで双子の様で、いったい何を話しているのでしょう?やっぱり、「おまえのところの親父は最近どうよ」「キャンプの事しか頭になく困ったものよ。」と言っているに間違いない。
それにしても素晴らしい天気。目の前の山を越えれば、すぐそこは島根県。ここはキャンプ場もあり、オートキャンプもできるという情報もありますが、ウェブサイトには、「本来のキャンプの姿を守る」という記載があるように、少し難有りと見た。それに、四国からは「しまなみ街道」経由で、高速道路は尾道JCTから世羅ICまでで終わり。地道で庄原を抜けてここまで結構時間がかかりました。スキー以外では来ないでしょう。
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2011年03月06日
ラストスキー
今シーズン最後であろうスキーに行ってきました。

いつものように金夜に出発・P泊で中国地方の山を目指します。
なかなかいいP泊ポイントが無く、どんどん夜が更けていきます。
つづく・・・。
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いつものように金夜に出発・P泊で中国地方の山を目指します。
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2011年03月03日
地芳道路は快適!
急に冷え込んできて、雪もちらついています。今年はまだまだスキーに行けそうです。
昨日、愛媛と高知を結ぶ新しい道路「地芳道路」を初めて通りました。

国道440号線は、久万高原町の旧柳谷村の落出と、高知県の梼原町を結ぶ道。これがほとんど2車線(一部300mほど改良中)で結ばれたのです。昨年の11月に開通したのですが、以前は、四国カルストの地芳峠越えの狭く目が回るほどのカーブで、それこそ「酷道」だったのです。その峠の真下に全長3kmの地芳トンネルが抜け、所要時間は半分以下に。
この日は仕事で、松山インターから内子経由で197号線を使って鬼北町の旧日吉村近くまで約1時間半。帰りは、この道を使ったのですが、時間的にはほぼ同じでした。
四万十川をはじめ、高知の西部へのアクセスが格段に良くなり、さらに1年以内には三坂道路(国道33号線)も開通予定なので、高速道路を使わずもっと遠くへ行けそうです。
最近は、何かと高速道路ばかりが話題に上がりますが、一般新道もその効果は高く、何より地域に密着している事が重要です。美味しいもの食べたり、美しいもの見たり。皆さん、高速道路ばかり使わず、たまには下道に降りましょう。
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昨日、愛媛と高知を結ぶ新しい道路「地芳道路」を初めて通りました。

国道440号線は、久万高原町の旧柳谷村の落出と、高知県の梼原町を結ぶ道。これがほとんど2車線(一部300mほど改良中)で結ばれたのです。昨年の11月に開通したのですが、以前は、四国カルストの地芳峠越えの狭く目が回るほどのカーブで、それこそ「酷道」だったのです。その峠の真下に全長3kmの地芳トンネルが抜け、所要時間は半分以下に。
この日は仕事で、松山インターから内子経由で197号線を使って鬼北町の旧日吉村近くまで約1時間半。帰りは、この道を使ったのですが、時間的にはほぼ同じでした。
四万十川をはじめ、高知の西部へのアクセスが格段に良くなり、さらに1年以内には三坂道路(国道33号線)も開通予定なので、高速道路を使わずもっと遠くへ行けそうです。
最近は、何かと高速道路ばかりが話題に上がりますが、一般新道もその効果は高く、何より地域に密着している事が重要です。美味しいもの食べたり、美しいもの見たり。皆さん、高速道路ばかり使わず、たまには下道に降りましょう。
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