2011年09月11日
震災後半年に思う。
東日本大震災から半年。
2万人もの犠牲者と今だ行方不明の人達。
そして被害に会われ、悲しみと苦悩の日々を過ごされている皆さん。
改めて、ご冥福をお祈りすると共に、一日も早い復興を願うばかりです。
震災直後、少ない情報と放射能の危険に不安の中、宮城県石巻へ向かいました。
余震が続く中、24時間かけてたどり着いた被災地は、言葉にならない程凄まじいものでした。
凍てつく寒さの中、多くの方が寒い体育館に避難し、朝を迎えると歩いて身内を探しに出かける光景を毎日見ました。
日に日に変る避難所の状態に追われながら我々も対応に苦労しました。
その時、私はこう思いました。
この震災の復興はうまく進まないと。
その理由は、その地に自衛隊以外に国の姿が見えなかったからです。
この半年間、政府の対応は無残なものでした。

女川原発内の避難所にて。震災後初めての温かい食事だと喜んでいただいた。
期待された野田新政権になって数日、経産大臣が辞任しました。
不適切な発言と行動によるものだとか。
町のほとんどが波にさらわれた女川町の人達は元気なのだろうか?
島全体が津波にのまれた出島の中学生になった子供達4人は?
ボランティアを指揮していた神社の宮司さんは?
今また、何かしなければならない気がしてなりません。
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そして被害に会われ、悲しみと苦悩の日々を過ごされている皆さん。
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余震が続く中、24時間かけてたどり着いた被災地は、言葉にならない程凄まじいものでした。
凍てつく寒さの中、多くの方が寒い体育館に避難し、朝を迎えると歩いて身内を探しに出かける光景を毎日見ました。
日に日に変る避難所の状態に追われながら我々も対応に苦労しました。
その時、私はこう思いました。
この震災の復興はうまく進まないと。
その理由は、その地に自衛隊以外に国の姿が見えなかったからです。
この半年間、政府の対応は無残なものでした。

女川原発内の避難所にて。震災後初めての温かい食事だと喜んでいただいた。
期待された野田新政権になって数日、経産大臣が辞任しました。
不適切な発言と行動によるものだとか。
町のほとんどが波にさらわれた女川町の人達は元気なのだろうか?
島全体が津波にのまれた出島の中学生になった子供達4人は?
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Posted by inxscamp at 19:48│Comments(0)
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